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流れ、流れて?流されて?
 
 “今考えてみればあの偶然は必然だった”なんて思うことありませんか?私は、よくあります。そして、そんな出来事のいくつかがつながっていることに気がついたとき、ひとつの流れを感じるのです。つまり、それは必然の流れ。何となく出かけたどこかで誰かに出会い、素晴らしい体験をする。これも流れであり、結果としてみると一つのストーリーになります。

  しかし、この流れ。ときどき分岐点を見せることがあります。目の前に見えてくる分かれ道を選ぶと、選んだ方向の流れに乗って流れていくというような感覚。流れはとまらないので、じっくり考え込むこともできず急な選択をせまられます。頭の中でいろんなものを天秤にのせたり降ろしたり、はたまたインスピレーションに従ったり。そうして、その分岐点に来たときに「えいっ!」と方向を決めたりします。
ここで、気がつかないことのある選択肢のひとつに「その流れには乗らない」というのもあります。そう、ただ流れれば良いってもんじゃないっていうことですね。そして、それもまたひとつの流れにつながります。こうして私たちは、さまざまな出来事に対しいろんな選択をしながら、気がつけばいろんな流れをクリエイトしているんですね。ここでミソなのは、この流れはプランがたてられないということ。流れた結果として、ストーリーを見ることになるからです。今一瞬の自分の選択を信じ、それらが繋がる流れを信じ、そして最後に見ることになるストーリーの結末が自分にとってかけがえのないものになることを信じること。これって、とっても大切です。

  ひとつ気をつけたいのは、同じ流れでも“流されてしまう”ということがあること。ただただ流されること、ありますね〜。でも、それはクリエイトしているとはいえません。また、目の前の選択を自分の中心で納得がいっていないのに、さも決めましたと思い込んでしまうことも同じです。
私たちは、流れを自分自身でクリエイトする力を持っています。自分でクリエイトしていく流れにさっそうと乗って、さあちょっと行ってみましょうか、あの場所へ。
2004/08/10
 
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