essey
seamoon-net.com
 
シンプルな生活
 
 先日、引越しをしました。と、いっても電話番号も変わらないくらいの距離なので、テリトリーはほとんど変わっていません。緩やかな環境の変化、例えば駅とかスーパーマーケットに近くなって、ちょっと便利になったかなぁ、という程度です。

  今までの家には、8年間住んでいました。8年といったら、成人式を迎えた人が「もうすぐ30才かぁ・・・。」なんて遠くをみちゃうような年月です。長年同じところに住んでいると、知らず知らずのうちにモノが増えているものです。段ボール箱に荷物をつめていると、いろんなものが出てきました。衝動買いして結局1回着ただけだった洋服、何となく捨てられなかった履きつぶしの靴、いつかフリーマーケットで売ろうと何年もしまっていた食器・・・。とっても収納スペースが多い家だったので、ほとんど発掘作業のような状態でした。その存在すら忘れていたモノたちが発掘される度に、私はそのモノたちになんだか申し訳ない気持になりました。

  少なくとも、今回発掘されたかつて必要だったモノたちは、今はここにあってもその役目をはたすわけでもなく、またその持ち主にさえ忘れ去られていた存在。もう要らないゴミとして認識されるわけでもなく、ただ“ある”というだけの存在。それは、私をなんとも居心地の悪い気持にさせる存在です。今自分には何が必要なのか、そんなことの輪郭をぼんやりとさせてしまっているような感じがするのです。引越し先がちょっと狭くなったこともあり、この引越しで私はずいぶんモノを処分しました。“それは必要か?”という判断をほとんど直感的にして荷造りをしたのでした。

  ちょっと長い旅に出ると感じることは、今カバンに入っているものがあれば不自由のない生活ができるんだなぁ、とうこと。まあ、それは必要最小限な状態なわけで、うるおいある生活を求める場合はもう少し必要になるモノがありますが、シンプルな環境の中で生活することが“今の自分”感じるきっかけにもなるんだなぁ、そして私はそんなシンプルな生活が好き。この引越しは、私にそんなことを再認識させてくれたのでした。
2004/03/10
 
>>> essey top
TOP >>> seamoon-net.com
 
Copyright © 1998 Kiyoko Oshima. All Rights Reserved