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こころが狭いっていうのは...
 
 「あたしね、こころが狭いんだよね。彼氏とさ、よく言い合いになっちゃうんだ。でもさ、しょうがないじゃん。もともと狭いんだからさ。」先日、友人を通じて知り合った女性が言っていたことば。私はそのことばを聞いたとき、なんだかあまりピンとこなくて、そして、彼女と別れて家へ帰る途中ずっと彼女のことばを頭の中で繰り返していました。こころが狭い...。そう言えば、このことばって今までもときどきどこかで聞いた気がするけれど、いつも何か釈然としないものが私の中にぽつんと残ることばだったなぁ。そんなことを思いながら歩いていると、ふと素朴な疑問が湧いてきました。狭いって、どういうことなんだろう?

 彼女が言っているニュアンスだと、もうこころは大きさが決まっていて、入口の大きさも中にものが入る容量にも限りがある、ということになるのでしょうか。例えば、プラスチックでできた四角い箱。そこに小さな穴が1つあいてるような。うーん。それは確かにたくさんのものを受け取れないなぁ。それに硬そうで、抱えにくそうだし。とくに入口がかっちりと固まって広がらないというのは、どうもいただけない。受け取る間口は柔軟であった方が良いと思うなぁ。私は“抱えていて気持ちの良いこころ”のイメージを膨らませていきました。「やっぱり柔軟性のある柔らかい素材が良いなぁ。伸び縮みがきくやつ。とくに入口の伸縮性は重要だなぁ。いつもは大きく開いてて、ときにはぴったりと閉じることも必要かもしれないしね。奥行きはできれば無限がいいけど、底なしっていうのもつまらないかなぁ。井戸の深さを調べるときみたいに“小石を落とすと音はするよ”っていうのがいいなぁ。うむ。これなら抱えていてもいい感じ。そして、ときどきギューッて抱きしめてあげよう。」

 私はすっかりこころのイメージを楽しんでしまいましたが、それは私の中でとってもしっくりいくこころの姿でした。私の勝手なイメージではあるけれど、最初からこれはもう決まっている形だからなんて思ったら、ほんとにそれはもうその形以外にはなりません。それはもったいなーい。私たちに与えられたイマジネーションという力は、ときに自分自身に大きな変化をもたらしてくれるステキなギフトです。
 今度、彼女に会ったら私の勝手なこころのイメージを話すことにします。で、一緒にさらなるイメージ遊びでも楽しんじゃいましょうか。
2003/05/20
 
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