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あるべきところにある、ということ
 
 私の家には石たちがいる一画があります。クリアクオーツやローズクオーツ、アクアマリンやヘマタイト・・・。友人から譲ってもらったり、石のショップに行って購入したりして手に入れたりしたものです。どれも“出会った”という感じで我が家にやってきました。そしていつのまにか、その一画には石たちが大勢集まって、なんだかとても賑やかになっていました。

 先日、石たちコーナーへふと目をやると、なんだかとっても落ち着かない気分になりました。「ここにはもういなくてもいいんだよなぁ・・・。」そんな声が聞こえたような気がしたのです。「えっ?」私はちょっとビックリしました。そして石が今ここにあることについて考えたのです。「どの石も、出会ったとき、そして手にとったとき、私の心や体の状態を映し出してくれていたんだよなぁ・・・。でも、今は?」私はそのとき気がつきました。今ある石たちの中には“共にいる”のではなく、ただ“所有”しているだけのものがあるということに。

 この石たちのおかげで、多くのことに気づけたことに感謝しています。だけど、今の私は動いている時期らしく、そんな私のそばにいる石たちは今あるべきところにある、という状態ではないようなのです。どの石も私にとっては思い出深く、好きな石ばかりなんだけど・・・。私は決心しました。「君たち、今までほんとにありがとう。もう、大丈夫だから。きっと、君たちのあるべきところが待ってる。」さっそく私は石の好きな友人にこの話をして、私の石の中から気に入ったものを選んでもらい、持っていってもらったのでした。

 あんなに好きだったものたちを素直な気持ちで手放したとき、私は感じました。自分に必要なものは、あるべきときにそこにあるもの。いつまでもそれを置いておきたいと思う気持ちは、今本当に必要なことは何かということを見えなくしてしまうんじゃないのだろうか。

 石をもらってくれた友人に、その後の話を聞きました。彼らはあるべきところにいるらしく、いろいろな変化を見せたとのこと。うれしいぞ、石たち!
2001/04/11
 
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