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多面体生物
 
 ローティーンの頃悩んでいたことがありました。それは、友達といる自分、家族といる自分、一人でいる自分・・・私の中にいろんな自分がいて、それぞれ全部が違う人格を持っているように思えていたことでした。友達といる時は明るくて元気な自分、家族の中ではわがままで気持ちをコントロールできない自分、一人でいる時は何だか暗くていろいろ思い悩んでいる自分・・・同じ一人の人間なのに、なんでこんなにもギャップが激しいんだろう?でも、どれも自然と出てくる自分だし、もしかしたら私は多重人格なのかも・・・なんて思ってしまってかなり落ち込んでいました。
そんな不安な気持ちを抱えたまま生活をおくっていたある日、風が吹くように頭の中で声がしました。

 ― 全部ホントの自分だよ ―

 全部がホント?そっか、そうなんだ。空の雨雲がぱっと消えて快晴になったように、急に気持ちが軽くなりました。それは、とても漠然とした答えでしたが、私のどこかで完璧に納得できる何かを感じたのでした。そして、その言葉を何度も思いだしながら、何年かかけて頭の中を整理することができました。

  それは「人は多面体生物である」ということです。たとえばミラーボール。いくつもの平面の鏡が合わさって、限りなく球体に近い形になっています。あのミラーボールのように、そのときの環境に面している「側面的な自分」が物事を映し適応しているわけです。でも、それはけして表面的な自分ではありません。そのミラーボールの中心には「本質的な自分」という核があって、全ての面にその核が影響していると考えるからです。悩んでいた頃の私は、自分を外側から眺めてばかりで、肝心の自分自身を見つめるという事ができないでいたのでした。それからというもの、私は表面に出てくるものを通して、自分自身をときどきを見つめるようにしています。

さてさて、今日も鏡を曇らせないように核をしっかり磨くとしましょうか。
1999/05/25
 
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